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地域を起こし耕す人を探して

人生の選択肢は無限だ――教員になってそう生徒の背中を押した。そして僕は教員を辞め、離島にゲストハウスを開いた。

外崎 雄斗さん

北海道知事認定アウトドアガイド/奥尻ゲストハウスimacoco代表

奥尻島は、2014年に発表された消滅可能性自治体ランキング(日本創成会議)で、北海道ワースト1位、全国でも4位と、人口衰退がきわめて深刻な状況にある。同調査は、2040年までの20〜30代の女性の予想減少率を基準に、将来の人口減を予想しており、奥尻町はマイナス86.7%もの高い減少率が算出された。 

そんな奥尻島へ、2018年1月、弱冠29歳で家族と共に移住したのが、外崎雄斗さんだ。釧路で5年間務めた高校教員の仕事を辞めて、家族と共に奥尻島へ移住。島内でも限界集落である​神威脇(かむいわき)地区に、ゲストハウスimacoco(イマココ)を開業した。 

それから5年、最近になって、外崎さんの周りには、若い移住者が増えるという「奇跡」が起きているという。近隣に新たにオープンした多目的シェアハウスcocokara(ココカラ)が、その拠点になっている――。 

そもそも外崎さんは、なぜ、どのようにして奥尻島への移住を決意したのか。奥尻島の魅力、素晴らしさとはどのようなものか。消滅可能性の高さに反して、将来へどのような可能性を開いていこうとしているのか。外崎さんが奥尻に移住してちょうど5年目となった記念日の翌日に、話を聞いた。 

外崎 雄斗

そとざき ゆうと

1988年札幌生まれ。バックパッカー、人力俥夫、高校教師を経て2018年1月に奥尻島に移住。「出逢いと感動体験は人生を豊かにする」を信念のもと、念願のゲストハウスimacocoをオープン。 北海道知事認定アウトドガイド。「自然講師」として島内の小中学校・高校の教育活動にも携わる。ゲストハウスを拠点に、大学生ボランティアを毎年40名近く受け入れるなど、「奥尻島を知り、ファンになってもらう」未来への種まき活動に取り組む。また多目的シェアハウスcocokaraをオープンさせ、移住者の受け入れにも力を入れている。

まるでふらりと旅に出るかのような移住。
運命の糸に身を任せて、奥尻へ。

2018年1月、奥尻島に向かう江差港にて(外崎ファミリー) 

札幌で生まれた外崎さんは、大学まで札幌で過ごした後、釧路から奥尻へ移り住んだ。一見すると、北海道の中でのローカルな転住だが、その背景には、世界を旅して歩いたスケールの大きな経験と、そこから思い描いてきた人生の夢があった。大学を2年間休学し、1年間は京都で人力俥夫を、もう1年間はバックパッカーとして、世界を旅してまわった。世界中の旅人や現地の人と交流する中で、「人生の選択肢は無限にある」ということに気付く。 

そして将来に2つの夢を抱いた。一つは高校教師になって、「人生は自由なんだよ」と、生徒の背中を押してあげられる存在になること。決して名の知れた大学や企業に進むことだけが「成功」ではないことを伝えたかった。大学卒業と同時にその夢を果たし、その結果、たくさんの生徒がバックパッカーとなって旅へ出かけていくことにもなった。背中を押された生徒たちが、立派に巣立っていく姿も目にした。 

ゲストハウス imacoco

もう一つの夢は、自分の価値観を広げてくれた「旅」の経験を、たくさんの人に提供する側になること。「旅人と地域の人が集うゲストハウスが作りたい」その思いは、5年間の教員生活においても、常に頭の中にあった。たいがいのおとなが、そうした夢を抱きながらも、安定した生活に甘んじ、決断を先延ばしにするものだが、外崎さんは夢を現実にすることに迷いがなかった。 

事情があって、当初は妻の香菜さんの福井の実家に帰省し、家業の農業を手伝った。半年ほどして、そろそろ夢を現実にしたいと考えていた外崎さんは、単身札幌に戻る。 

「ゲストハウスを開くのに、いくつか候補地はあったんです。でも札幌の実家に帰って、ふと思い出したのが、高校生の時に父親が話していた奥尻のことでした。父は奥尻によく釣りに行っていて、いつも泊まっている民宿のご主人に、『自分はあと3年でここを閉めるつもりだけど、あなた継がないかい』と言われたと…。そんな昔の会話がなぜか急に頭に降ってきて、目の前の父に『あの民宿はどうなったの?』と聞いたところ、『先週行ったけれど、宿を閉める前の最後の客だったよ』と返事をされて、あまりのタイミングに思わず鳥肌がザーっと立ちました」 

ホッケ、カレイなどもここでは自分で釣る魚だ 

運命的な繋がりに導かれるように、父親と共に奥尻へ出向き、民宿を引き継ぐことを決める。それまで行ったことのない奥尻島だったが、直感を信じた。下調べもそこそこに、わずか2ヵ月後の翌2018年1月、家族と共にフェリーに乗って奥尻への移住を果たす。まるでふらりと旅に出るかのような移住――世界中を旅したアドベンチャー精神のなせる業だが、家族の応援にも後押しされた。 

「妻と小さな子ども2人と、4人でフェリーに乗って引っ越したんですが、船の中で妻に『今さらだけど、奥尻島ってどこにあるの?』と聞かれて…、いやあ本当にどこにでも信頼して着いてきてくれて、凄い人だなって(笑)」 

人口2300人の島で、住民20人の神威脇地区。
苦難を乗り越えて先人が築いた暮らしを、未来へ繋ぐ。

「神が居るところ」=神威脇の海岸に沈む夕日 

ゲストハウス兼自宅が位置する神威脇(カムイワキ)地区は、奥尻島の西海岸にあり、フェリーターミナルがある東側の中心部・奥尻地区からは山越えの道路を車で30分、空港がある南側の青苗地区からも車で15分と離れている。奥尻島(奥尻町)の人口は現在2300人だが、神威脇地区の人口はわずか20人ほどだ。いきなりそんなところに仕事や生活の拠点を移して、不便さや不安を感じはしなかったのだろうか。 

「いや、逆に自分は宝くじに当たる以上の運を持っているなと思いました。ここで良かった、神威脇にゲストハウスを持てたのはラッキーだった、そう感じています」 

アイヌ語で「神が居るところ」という意味の神威脇(カムイワキ)には、島で唯一の温泉があり、島随一の湧水(「奥尻の水」として商品化)にも恵まれる。 

南西沖地震と津波にも耐え抜いた神威脇温泉 
(写真は移住時、外観などはその後改修)

ゲストハウスのすぐ向かいには、1978年開業、地元の人たちに愛されてきた神威脇温泉がある。「舐めたらしょっぱい海の温泉だけれど、モール温泉の腐植物の養分も混ざっている。海と森を掛け合わせた、奥尻を象徴する温泉なんです」 

温泉は、南西沖地震の津波被害にも耐え抜いた。近年は老朽化著しく利用客も激減しているが、なんとか存続させたいと、外崎さんは応援している。 

島全体がブナ原生林、世界的に見ても貴重な生態系は、まるでブナの浮島 

奥尻島には現在ではきれいに舗装された外周道路があり、険しい岸壁の間もトンネルを通して行き来できるようになっている。しかし40数年前までは道路も通じておらず、神威脇からはどこへ行くにも山道を4〜5時間もかけて歩いて行かないとならない、そんなところだった。第二次世界大戦終戦時に、神威脇は国の指定地域として、樺太や北方四島から命からがら引き揚げてきた280名ほどの人々が入植した。 

「生活は過酷で、根室や釧路など他地域へ移転していく人も多かったそうですが、ここに残って暮らしを築き上げてきた人々がいたことを知り、先人たちの跡を継いでこの地域を守っていきたいと思うようになりました」 

今も残る番屋の貴重な生活風景 

奥尻のことは当初ざっくりとしか知らなかったという外崎さんだが、町の教育委員会から学芸員の方が定期的に出している「ふるさと奥尻通信」という月刊の広報紙のバックナンバーをコピーして読むなどして、知識を増やした。 

「奥尻の歴史や、ブナの原生林があるとか、奥尻ブルーと言われる夏の海がきれいだとか、ガイドブック的な知識から入って、少しずつ勉強していきました。まあ勉強というより、とにかくこの島を体験しよう、自分自身で遊び倒してみようと思いました」 

島を覆う広大なブナの森が、海の恵みを支えてきた。
海と森の物語を、観光客や地元の人に伝えたいという使命感。

森と海の恵みの繋がりが奥尻の豊かな自然の中心にある 

暮らし始めてみて、奥尻の中心にブナの原生林があることもわかった。島の面積の8割は森林で、その6割をブナ林が占める。ほとんどが国有林で、「奥尻島生物群集保護林」に指定されており、手を入れることなく保存されている。ブナの一本一本に豊かな水が湛えられ、島の土壌に豊富な滋養分をたっぷり含んだ湧水をもたらし、森と海の生態系を豊かにしている。 

外崎さんは、奥尻を観光客に伝えるうえで、海だけでなく森を案内することが不可欠だと考えている。「観光客の方々は、島の名産品であるウニ、アワビなどの新鮮な魚介を楽しみに来られます。でも、ただ食べて帰るだけではもったいない。わざわざ遠い離島まで足を運ぶからには、その背景にある物語を知ってほしい。『昼間歩いたあのブナの森が、この美味しいウニを育てているんだな』と、頭に浮かべながら味わってほしいんです」 

原生林の中に分け入るのは大変だが、南西沖地震の後、地元の建設会社がスポンサーになって、国有林内に、「奥尻21世紀復興の森」という場所が作られ、散策経路が整備された。外崎さんは、その会社から許可を得て、森のガイドに入っている。 

奥尻小学校の野外授業で、生徒たちをブナ林に案内する

「じつは、地元の人たちもあまり森のことをご存知ないように思いました。観光客の方はもちろん、奥尻に住む人たちにも、もっと森を知ってほしいと考えました」 

2021年、島外のモニターの方々が奥尻を体験するという調査事業があり、観光やアクティビティが提供された。外崎さんのブナ林ガイドツアーもその中に含まれていた。終了後、どの体験が最も魅力的だったかアンケートを取ったところ、半分以上の人がブナ林ツアーを挙げた。 

この結果を見て、ようやく島民の関心がブナ林に向いた。2021年10月、外崎さんに依頼があり、島民向けのブナ林ガイドツアーが3日間にわたり初めて開催された。 

「地元の人が地元の魅力を知って愛することができなければ、何も始まりません。信念を持ってやり続ければ、いつか伝わると信じてやってきたので、確実に大きな一歩でした」 

奥尻高校「まちおこしワークショップ」での講師も、移住初年から務めてきた 

高校を出れば島を出るのが良しとされる――奥尻に限らず地方都市でも見かけるそんな風潮にも疑問を感じていた。生まれ育った場所の良さを本当に知ろうとしないまま、なんとなく雰囲気で都会に流れていくのだとしたら、もったいなさすぎる。 

「一人でも多くの子どもたちに伝えたいと、5年間かけて徐々に活動を広げ、小学校、中学校の自然講師として、生徒たちを森に案内することができるまでになりました。ようやくここまで来たかという思いです」 

開業初年から、宿泊予約サイトで高評価を獲得。
これまでの観光客とは異なる旅人たちが集い始める。

開業最初の年からクチコミ高評価を獲得 

さて、本業のゲストハウスの方はといえば、開業以来、順調にゲストを増やしてきた。外崎さんの思いをSNSなどで見た人たち、これまでの奥尻への観光客とは異なる旅人たちが奥尻を訪れるようになり、さらにクチコミで広がっていった。開業初年度から、世界中の人が利用する宿泊予約サイトBooking.comのユーザ評価で高得点を獲得し表彰される。

前の民宿の状態が良かったので、建物や内装、設備にはほとんど手を入れずにオープンすることができた。人との出会いが旅の醍醐味だという外崎さんがこだわったのは、ゲストが1階のラウンジに集って、旅人同士、旅人と地域の人たちが交流を深めるスタイルにすること。そのために薪ストーブを入れて、居心地の良い空間にしつらえた。また、地元の人たちにも積極的に声かけをして、英会話サロンなどコミュニティスペースとしての利用も進めた。

島の外国人を講師に開いた英会話サロン。写真は第1回(2018年9月) 

「年齢を問わず、若い人からご家族連れ、お年寄り、どんな人にも来てほしいと思っています。奥尻の観光客の層を見ると、リタイア後の年齢の方々が多くて、20〜30代がとても少ない。高齢層の方々は、南西沖地震で奥尻を知っています。むしろ知らない人が少ない。そして、地震を知らない若い世代は、奥尻島を知らない。とにかくまず知ってもらうところから始めて、10年、20年と長い目で取り組んでいかなければと思っています」 

なんとか若い人たちを呼びたいと考えていたとき、村おこしNPO法人ECOFF(エコフ)という団体と知り合う。全国から大学生を募り、人手不足などで困っている地域へ、村おこしボランティアというかたちで派遣する事業を行なっている。外崎さんが世話人となって奥尻島コースを登録し、2019年から受け入れを始めて、最初は7人から、人数や回数を年々増やして、現在は春2回、夏2回、各回定員10名で、年間最大40名がやってくる。 

大学生ボランティア受け入れに先立って来島したECOFF宮坂代表(写真奥)と町長を訪問 

「全国から集まって来る学生たちは、奥尻で初めて出会って共同生活をします。10日間の滞在中に、たくさんの島民の方と出会って、様々な体験をして、島の魅力や課題を知ってもらう。奥尻やゲストハウスimacocoのファンを作り、その後もリピーターとして、友達を連れてきてくれるような関係づくりを目指しています」 

第1回では、うれしいサプライズがあった。なんと高校教師だったときの教え子がわざわざ参加して来てくれたのだ。そしてその後、さらに驚くべき展開へと続く。 

今も現役で使われている番屋で新鮮な漁師料理に舌鼓

「そのとき学生たちは奥尻ワイナリーのお手伝いに行ったんですが、彼はすっかりワイン作りの仕事に魅せられてしまって、『大学を辞めて、ワイナリーで働きたい』と言い始めた。さすがにその時はあきらめて帰ったんですが、3年経って去年いきなり現れたんです」 

大学の卒業を控えて、奥尻ワイナリーの採用面接にやってきたのだ。そしてめでたくこの4月から、奥尻ワイナリーの社員として働くことが決まった。うれしいサプライズは、外崎さん自身が背中を押した教え子からもたらされた。 

無限の星空の下で歓声を上げる大学生ボランティアたち 

北海道アウトドアガイドの資格を取得。
新たにシェアハウスもオープンし、移住者で即満室に。

エメラルドブルーの海をSUPで渡り、島の自然を愉しみ尽くす

コロナ禍に入って、ゲストを迎えることが厳しくなったが、幸い大学生ボランティアは十分な予防措置のうえで、来島を続けてくれた。外崎さんは、コロナ禍だからこそ集中してできるようなことにチャレンジし続け、2021年には2つの新しい挑戦を遂げる。 

1つは、北海道知事認定アウトドアガイド資格の取得だ。北海道の広大なアウトドアフィールドに精通し、ゲストを安心・安全に案内できる技量と倫理を有する人を選定する、全国で唯一の公的なアウトドアガイド資格制度である。山岳・自然・カヌー・ラフティング・トレイルライディング(乗馬)の5つの専門分野があり、外崎さんは自然ガイドの資格を目指して、2度目のトライで見事合格。実際に自然ガイドとして釧路湿原を案内し、ケガ人の応急処置などを行う実技試験も突破した。 

エゾタヌキの赤ちゃん。 
奥尻島にはエゾシカ、エゾリス、キタキツネはいない。 ヒグマやマムシもいないので安心して散策できる。 

「ガイド活動そのものは資格がなくてもできます。奥尻ですでに年間500名以上に、ブナの森や奥尻ブルーの海を案内してきた実績もあります。しかし認定ガイド資格を持っていることで信頼も高くなり、やる方も周りも本気度が違ってきます」 

さらにもう1つの挑戦として、新たに空き家を購入し、多目的シェアハウスcocokaraをオープンさせた。「奥尻に来てゲストハウスのファンやリピーターが増えて、地元の人との交流も広がる中で、夢が広がってきました。『旅して感動、暮らして幸せな場所に』というモットーを掲げて、移住者を受け入れるシェアハウスを作りたいと考えていたんですが、神威脇には空き家物件も少なくて、なかなか実現しなかった。たまたま2021年に、商店だった近くの家を買うことができました」 

多目的シェアハウスcocokara

ゲストハウスに滞在していた人の知人で、東京駅の屋根を作ったという全国でも5人しかいない大工職人さんが、コロナ禍で時間が空いているからと島に来て修復作業を手伝ってくれた。村おこしボランティアの大学生たちも合流して、一気にリフォームした。2階がシェアハウス、1階はコワーキングスペースやミーティングルームと多目的に使える広場的空間とし、飲食営業許可も取得した。 

シェアハウス改修風景

外崎さんの周りに、移住してくる人が徐々に増えるという「奇跡」が起きていたことも、背中を押した。「募集もしていないのに入居希望者が次々と現れて、満室で断っているほどです。現在5人の住人がいますが、ほとんどはゲストハウスの宿泊者だった人たちです。4月から奥尻ワイナリーで働く教え子も、入居予定です」 

これまで5年間の移住者は10名を超える。奥尻で仕事を探し、学校の公務補、幼稚園の先生、ワイナリーの従業員など、それぞれ地域に密着して働いている。夢の実現に向けて動き始めた方もいる。 ――島にとっては大きな変化だ。

いつ来ても新しい発見のある奥尻へ――。
地元の人も、移住者も、ゲストも、みんな一緒に食卓を囲もう。

みんなで畑の開墾

さらに今年は、シェアハウスの住人たちと畑作りをしようと150坪ほどの土地を借りて準備を始めている。「旅人も住人も、みんなで汗をかいて食事を作り、みんなで食卓を囲むって、とても幸せなことだと思うんです」 

自給自足は、奥尻では当たり前の生活習慣だ。まず島には魚屋がない。この島では、魚は買うものではない。分けてもらうか、自分で釣るか、なのだ。 

一緒に台所に立って食事を作り、食卓を共にする。

外崎さんには新しい挑戦のあった2021年だが、コロナ禍もあって島の観光業は不振に陥っていた。先立つ2019年には、島唯一の温泉リゾートホテルが閉館に追い込まれていた。ホテル閉館で団体客を乗せた大型バスが来なくなったため、せたな町からのフェリー便が運行休止になった。江差町からのフェリーも減便されるなど、島民の足にも影響が出ている。 

「この変化を前向きに捉えるべきだと考えています。観光バスで島をざっと一周観光して、夜は宴会でウニやアワビを食べて帰るだけの観光では、息長く繰り返しきてくれる島のファンを作れません。個人のゲストを大切に、楽しい旅はもちろん、さらにもう一歩先の体験を提供したい。何度でも来たいと思える、来るたびに新しい発見がある――奥尻をそんな場所にしたいんです」 

海ゴミを回収しアップサイクルにも挑戦

観光はとうの昔に団体旅行の時代は終わり、個人旅行がメインになっている。残る宿泊施設は小さな民宿やゲストハウスだけだが、これを契機に、島の観光を見直すべきなのだろう。個人を大切にする観光にいち早く取り組んでいた外崎さんのゲストハウスは、幸いリピーターにも助けられてコロナ禍に関係なくゲストを増やすことができていると言う。 

移住後に一人増えて5人家族になった外崎ファミリー

島に移住して5年、そのうち3年はコロナ禍にあったものの、外崎さんの活動と、呼び込んだ旅人たちのエネルギーは、奥尻に新しい風を吹き込んでいる。挑戦はまだまだ続く。 

聞き手:DONAN.city編集部  [インタビュー日時:2023年1月18日] 

*写真はすべて外崎さん提供 

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2023.04.20

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