北海道二海(ふたみ)郡八雲町(やくもちょう)。道南・渡島(おしま)半島の最もくびれた部分に位置し、2005年の熊石町との合併で、東に太平洋、西に日本海と、日本で唯一、二つの海に面する町となった。
函館からはおよそ75km、クルマで1時間半。函館はじめ道南の住民には、ハーブ鶏のフライドチキンや窯焼きピッツアなどが人気の行列の絶えないレストラン「ハーベスター八雲」や、新鮮な産品を購入できる「丘の駅・噴火湾パノラマパーク」が、太平洋を一望する休日のレジャースポットとして人気を呼んでいる。
その一方で、八雲駅周辺の中心市街地は、道南函館本線沿いの他の駅と同じようにこぢんまりとした商店街があるが、空き店舗もちらほらと目立ち、人通りの少なさが人口衰退の気配を感じさせる。1960年に3万5千人だった人口は、1万5千人を切っている。人気レジャースポットを訪れる通過型観光客の中に、駅前商店街に立ち寄る人は少ない。
ところがここ数年、駅前商店街の辺りに、東京や関西の大都市圏からファッショナブルな若い世代が集まるようになっている。なぜいきなり大都会からピンポイントで八雲町へ? 背景にあるのは、静かに盛り上がってきた「木彫り熊」のブームだ。八雲町は今、木彫り熊発祥の地として注目を集めている。
外からの盛り上がりと注目を、内からの再興に結びつけようと、木彫り熊フェスティバルを仕掛けるなど、地元のキーパーソンとして奮闘するのが、青沼千鶴さんだ。15年前に八雲町に移住し、自ら起業すると同時に、まちおこしイベントのプロデュース、コミュニティカフェの運営や起業支援、そして木彫り熊の振興と、周囲を巻き込みながら八面六臂の活躍を遂げてきた。
青沼 千鶴
あおぬま ちづる
司法書士・行政書士やまびこ事務所代表、合同会社ヤマビコジムショ代表。NPO法人自治経営監事、公民連携プロフェッショナルスクール(現都市経営プロフェッショナルスクール)3期生。
道南知内町で生まれ、七飯町で育つ。函館東高校、中央大学法学部法律学科卒業。東京から北海道へUターンし、法律事務所や新聞社勤務を経て、八雲町へ移住。2011年に司法書士・行政書士やまびこ事務所を開業。 “まちをおもしろがる”有志グループ「やくもターコイズ」を2012年から主宰し、友人らとライブやフェス、アートイベントを公共施設、廃校や公園などで開催。本業で相続に関わるたび、増え続ける空き家問題に関心を持ち、本業の傍ら合同会社ヤマビコジムショを設立し、レンタルスペース&シェアキッチン「カミヤクモ321」の運営に取り組む。2021年春、「木彫り熊と本の店kodamado」をオープン、仲間と八雲町の木彫り熊の魅力発信に取り組んでいる。
この記事のもくじ
人気のなかった町の緑地公園が、緑と水辺と夜空を満喫する野外フェス会場に変貌!
青沼さんは、2009年に夫の転勤に伴い八雲町に移り住んだ。もともと道南で生まれ育ったが、八雲町には縁もゆかりもなかった。八雲の風土と人に魅せられ、次第に根を下ろしていく。国家資格の取得を契機に、2012年に司法書士・行政書士やまびこ事務所を八雲町で開業する。そしてそれとほぼ同時に、多彩なまちづくり活動への“怒涛の”取り組みを展開してきた。
青沼さんの関心は、当初から木彫り熊に向いていたわけではない。移住当初、都会に比べてコンサートや映画など文化的なイベントが少ないなあと退屈に感じていた。「ないなら自分たちで作ればいい」と友人らに声をかけられ、一緒にライブコンサートを開催した。
さらに、事務所が入居するふたばビルのエントランスで、「ふたばまつり」という小さなマルシェイベントを始めた。駅前通りに面したビルの路面で、歩道を活気づけたかった。自分たちも楽しみながら、本業を生かした法律相談カフェや、カレーの屋台など、小さな取り組みからのスタート。ふたばまつりは2023年10月現在まで、6年にわたり38回開催している。
また2013年夏には、首都圏はじめ全国に広がっていたイベント「百万人のキャンドルナイト」を、八雲町で開催しようと走り回った。夏至と冬至の日の夜8時から10時までの2時間、電気を消してキャンドルを灯し、いつもと違うスロウな時間を過ごしてみようという取り組みだ。廃油エコキャンドル作成ワークショップのプレイベントと、レストランでのキャンドルディナー&ライブを開催。ディナーライブの定員50人のチケットは完売し、町の中心部に一夜ながらも従来のお祭りなどとは一味違った、しっとりした賑わいが生まれた。
その後も、コロナ前の2019年まで毎年キャンドルナイトを開催。町内外の魅力的な特産品の生産者やアーティストらをどんどん巻き込んで、規模や内容を拡充していった。5年目の2017年夏には、町の「遊楽部(ゆうらっぷ)公園」を会場に、8月17日の正午から午後9時までの半日にわたる本格的な野外フェスイベントへと発展した。
道南・道央などから50の出店者がテントを並べ、マルシェ、ワークショップを提供。映画上映会、講演会、スカイランタン飛ばしなど盛りだくさんな構成内容で、遠方からも含めておよそ800人もの来場者を集めた。
このイベントが画期的なのは、公共施設である公園を民間のイベントに開放させ、有償(入場料当日800円・前売500円)での実施、マルシェなどでの物販も実現させたことだ。
レストランやカフェ、シアターなど質の良い民間資本を共存させ、さらにはその利益を公園の存続のために活用していこうという「パークPFI」と言われる開発手法は、2017年の都市公園法改正によって全国各地に導入されたが、同年夏のこのイベントは、まさにその兆しを示す先進的な取り組みとなった。
「ただやりたいことを推していった結果なんですが、今から思えばよく頑張ったなと(笑)。今でこそ、公民連携による公園活性化の議論が盛んになっていますが、当時はそんなことも知らないままに、渋い顔をしがちな管理者を勢いで説き伏せて、町民ファースト自分たちファーストのフェスを実現できたんじゃないかなと思います」(青沼さん)
まちづくりプロスクールで学んだ知見を、山奥の古民家を再生した起業拠点スペースに注ぎ込む。
2017年当時、青沼さんは、公園でのキャンドルナイト実施と並行して、駅前中心市街地から12kmほど山間の上八雲地区で、古民家再生にも取り組んでいた。蕎麦屋だった築100年近い建物を借り受け、仲間とともに1年近くをかけて「カミヤクモ321」というフリースペースに改修。お金をほとんどかけず手作りの作業で、2017年9月に本格オープンにこぎつけた。
空き家再生のきっかけは、本業の仕事で遺産相続や不動産登記の代理業務に携わる中、地元を離れた不在地主の存在、増え続ける空き家問題を知ったことだ。まちづくりに関心が広がり、2016年頃から東京や静岡での先駆的なまちづくりセミナーに足を伸ばし参加するようになる。
2017年には、「公民連携プロフェッショナルスクール」という、主に行政職員や地方議員への専門教育を目的とした、戦略的都市経営のプロフェッショナル育成プログラムの受講生となり、半年間、eラーニングと各地での実地講習やスクーリングを通じて集中的に学んだ。カミヤクモ321は、このプロスクールで得た知見の実験場でもある。
本業に加えて、イベントの仕掛け、空き家再生の実践、そしてまちづくりの本格的な学びと、同時並行で取り組んでいたその行動力のパワーには、恐れ入る。衰退する都市や地域の再生に取り組む全国各地の受講生や、行政に依存しない “稼ぐ”公共事業の先進事例を成功させてきた講師陣らと出会い、八雲町のまちおこしに取り組む青沼さんのマインドは鍛えられた。
公民連携(PPP:Public Private Partnership)の新しい経営手法を実践的に学んでいく中で、空き家を所有者に代わって管理する「現代版家守(やもり)」というアイデアを知り、カミヤクモ321でそれを実行に移した。
カミヤクモ321は、イベントスペースでもあり、町内外の人気店が出張営業するテナントスペースでもあり、新規に起業したい人に場所を提供するチャレンジショップでもある。最近では、青沼さんら運営スタッフが営業をかけるまでもなく、持ち込まれる企画が増えている。日替わり週替わり月替わりなどで、ベーグル屋、パンと珈琲と古物の店、ウイスキーとボードゲームのバー、ハワイアンマッサージのサロン、珈琲とノンアルコールカクテルの店、おにぎり屋などが入れ替わり立ち替わり開店し、週末はライブや映画会、講演会や個展が開催される。
たくさんの起業チャレンジャーが、カミヤクモ321で開業届を出し、初めの一歩を踏み出した。これまで入居した店舗はのべ13店舗。そのうち7店が、独立開業を果たしている。
2018年8月から11月まで入居した珈琲豆専門店Maayan Koffee(マーヤンコーヒー)は、函館市からわざわざ通っての出店。こだわりの豆と焙煎で函館や道南全域にファンを増やし、2021年に函館市内に店舗を構えるまでになった。店主のマーヤンさんは、「八雲町でまず腕試しをして、開業する自信がつきました」と語る。
2020年3月から2021年10月まで土曜営業した喫茶フリーデンも、2022年10月に函館市内に店舗をオープン。トロピカルなオリジナルドリンクが人気で、店主の方は本業のイラストレーターのかたわら週末営業を続けている。
カミヤクモ321を通過点にして、テナントが函館などへ出ていってしまうのは少々残念な気もするが、それだけ力のある出店者たちが、ここには常時集まってくる。新聞記事やクチコミなどで情報が広がり、札幌など大都市圏からわざわざ出店してくるチャレンジャーも多い。一見すると、山奥の古民家を改修したカフェ&フリースペースなのだが、実態は立派なビジネスインキュベーション(事業を孵化させる)センターなのだ。
そしていよいよ木彫り熊の復興へ。ギャラリー&ショップを立ち上げ、年2回のクマまつりをスタート。
そうしてようやく話は、木彫り熊の復興へと辿り着く。前半のまちおこしの延長として活動を広げながら、八雲の歴史を遡る百年の温故知新が、ここに来て一気に吹き出したかのような展開へ突入していく。
2021年春、青沼さんはこれまでの活動と並行して、八雲が発祥の地である木彫り熊の文化を守り伝えたいという思いがつのり、本業の事務所隣りのスペースに、「kodamado」というギャラリー&ショップを開設する。店内には所狭しと木彫り熊の作品群、写真集、関連書籍、木彫り熊グッズなどが並べられている。
店内に入ってすぐに気づくのは、居並ぶ木彫り熊たちが、道外で広く知られる北海道の木彫り熊とは様相が異なることだ。定番の、鮭を口に加えた木彫り熊は、じつは発祥の地である八雲町ではほぼ作られていない。旭川などで機械彫りが導入され、北海道観光の土産品として量産されるようになる中で出てきたものだという。
ここ八雲の木彫り熊は、手彫りの一点物が中心。毛並みの彫り方など技法的ないくつかの特徴は見られるものの、作家一人ひとりの個性的な作風が際立つ。写実的なものから、擬人化されたコケティッシュなもの、抽象的な現代アートのようなものまで、じつに多彩な表情を持つのが、八雲の木彫り熊の魅力だ。
頭頂部から力強い渦を巻く独特の「毛彫り」があるかと思えば、毛並みは描かずに幾何学的な面で立体を構成する「面彫り」が様々に発展した。代表的な名人、例えば引間二郎氏の作品は切り出しナイフを使った「カット彫り」と言われるスタイルを、また柴崎重行氏の作品は「ハツリ彫り」といわれる、手斧で削った面を重視する独特のスタイル(別名・柴崎彫り)を確立するなど、それぞれ他に類のない存在感を放つ。
2016年、テレビ東京の人気番組だった『なんでも鑑定団』で紹介されたのをきっかけに、八雲熊の魅力に注目したコレクターが全国に現れ、すでに故人となった名人たちの一点物の作品が、オークションサイトで高値を付けるようになっていく。しかしながら、地元町民にはあまりその希少性が知られておらず、「家にあったけれど邪魔だからゴミに出した」とか、「焚き付けに使ってしまった」という話も少なくない。
この残念な状況をなんとかしたい、地元の人たちにこそ木彫り熊の歴史や魅力を知ってもらいたいと、青沼さんはkodamadoを運営拠点として実行委員会を組織し、木彫り熊フェスティバル「冬眠あけのクマまつり」を同2021年6月にスタートさせた。同年12月には「冬眠まえのクマまつり」も開催、コロナ禍ではあるものの、のっけから年2回のハイペースで突っ走った。
第1回はkodamadoでの1日開催のみだったが、第2回は土日2日開催とし、参加拠点を町内7ヵ所に増やして、「語りべと歩く木彫り熊まち歩きツアー」や、現役作家・小熊秀雄さんのアトリエでの「小熊さんの熊彫(くまぼり)ワークショップ」などの体験企画を実施した。町の木彫り熊資料館では、名人の一人である柴崎重行氏の没後30周年記念企画展も同時開催された。いずれも盛況で、東京など遠隔地からの来訪者も多数訪れた。
八雲町には、木彫り熊の保存と伝承の核となる、全国で唯一の「木彫り熊資料館」がある。駅からほど近く、北海道第一号の木彫り熊とそのモデルとなったスイスの木彫り熊に始まり、歴代の名人たちの作品から現代に至る多様な作品が展示されている。学芸員の大谷茂之さんが折々にミュージアムガイドツアーを担当し、全国から訪れるファンに、八雲の木彫り熊の歴史や作風を丁寧に解説する。
八雲町では、次の世代への技能の承継を目指して、熊彫の長期研修も開講している。青沼さんは、講座で修業中の若い研修生を、活動に積極的に巻き込んでいる。地元八雲町出身の田中由希子さんも、その一人だ。田中さんは、kodamadoやクマまつりの中心的な運営スタッフとして活動し、自ら熊彫の実演なども行う。
クマまつりは、発祥の地・八雲町に連綿と息づく伝承文化を核としつつ、当事者でもある町民をどんどん巻き込み、面の広がりのある活動が目指されてきた。古臭い、過去のものだ、そんなイメージを払拭させたいと、デザインに工夫を凝らした、見ているだけで楽しくなるようなコミュニケーションツールを展開してきた。
そもそも八雲の木彫り熊が洗練されていて、時代を超えてポップなのだから、デザインも負けていられないと、札幌から八雲町にUターンして仕事をしているグラフィックデザイナーの小島美紀さんに協力を仰ぎ、多彩なクマまつりを分かりやすく表情豊かに表現してきた。カミヤクモ321やkodamadoなど複数のSNSでの豊富な発信、充実したチラシやマップを見れば、八雲町まで行けずとも熱量がおのずと伝わってくる。
東京903会とビームスジャパンの注目が八雲の木彫り熊ブームに火を着ける
そして1年が経ち、2022年12月初旬の第4回クマまつりは、八雲町にとってメモリアルな開催となった。目玉企画として、国内有数の人気ファッションブランド「ビームス」と連携したトークイベントがエントリされ、ビームスと八雲町のコラボグッズ類の販売が予告されたからだ。いつもと少し違うざわざわとした興奮と注目が集まっていた。
第4回クマまつりは、土日2日間にわたり、A4版両面のチラシを余すところなく埋め尽くす様々な企画が実施された(下写真)。チラシ表面はタイアップのカフェやレストランの一覧で、チラシを提示すれば、ハーベスター八雲はじめ地元店でのドリンクサービスや会計10%オフなどのサービスが受けられる。裏面が町内各所で開催されるイベント紹介で、トークイベントあり、歴史を辿るフィールドツアーあり、木彫りの実演や体験ワークショップあり、名人の作品展示ありと、一つ一つは小規模ながら盛りだくさんで密度の濃いものとなった。
そもそも八雲の木彫り熊の歴史は、大正13(1924)年に遡る。この地に入植した尾張徳川家の第19代当主・徳川義親が、旅先のスイスで出会った木彫り熊工芸を八雲に持ち帰って紹介し、酪農家・伊藤政雄が第1号と言われる作品を彫ったのが発端だ。
しかし百年近くの歴史がありながら、なぜ今ここに来て、木彫り熊復興なのか? その謎を解く鍵は、第4回クマまつりのトークイベント「ビームスジャパン鈴木さんのJAPANの歩き方」にあった。記事冒頭の写真で、真ん中にいる青沼さんの右側が、国内屈指の人気を誇るファッションブランド、ビームスの辣腕バイヤーでありディレクター、鈴木修司さんだ。
辣腕ディレクターとして数々のヒット商品を手がけてきた鈴木さんは、日本の銘品に焦点を当てた「ビームスジャパン」という新事業の立ち上げにかかわり、10年ほど前から全国47都道府県の津々浦々を訪ね歩いて、フィールドからのアイデアの掘り起こしを行ってきた。2021年夏には、47の地域の銘品を集大成した『ビームスジャパン 銘品のススメ』という本を出版した。
残念ながらこの本に、八雲の木彫り熊は収載されていないものの、鈴木さんは数年前から八雲町に通って木彫り熊のフィールドワークを行ってきた。そして八雲町でのトークイベントの直前、2022年秋には、東京新宿のビームスジャパン直営ショップと公式オンラインショップを会場に、約1ヵ月にわたる『八雲の木彫り熊』と銘打ったイベントを開催していた。
同時に、ビームスでは様々なオリジナルグッズも製作。八雲の8人の作家に焦点を当て、その作品をイラスト化して、ポスターやマグカップ、Tシャツなどに展開。さらに興味深いのが、戦前に八雲の木彫り熊をブランド化するために作られた、熊の足裏に「やくも」の文字を書き入れた焼き印ロゴの復興だ。
なんとも愛らしい焼き印ロゴ――鈴木ディレクターは「まさに地域ブランド戦略の元祖と言えるような取り組みでは」と絶賛する。こちらもTシャツやキャップ、ネクタイ、トートバッグ、作業用エプロンなどの様々なグッズに展開された。
東京新宿のビームスのイベントでは、木彫り熊資料館の大谷学芸員をゲストに招いたトークイベントや、木彫り熊講座生の田中由希子さんを招いた製作実演イベントも開催された。ちょうどその1ヵ月後に、八雲町での第4回クマまつりが、いわば凱旋企画のようなかたちで実施されたわけだ。
注目の八雲町でのトークイベントは、駅前通りの雑居ビルにあるダーツ&ビリヤードバー「BAR DUCK」で行われた。駅前とはいえ夜には寂しげな界隈だが、どこからともなく集まってきた人々で会場はみるみる満席となった。地元町民はじめ、道南近郊からの参加者、東京や大阪など遠方からはるばるやってきた来訪者など、年齢層も文化層もじつに幅広い人々が集まり、不思議な熱気に包まれた。
特別メニューのハーベスター八雲のピザで来場者がお腹を満たした頃、イベントは青沼さんの司会で始まり、前半がビームス鈴木ディレクターの講演、後半が「東京903(くまさん)会」代表の安藤夏樹さん(記事冒頭の写真で青沼さんの左側)との対談のかたちで進められた。
じつはビームスジャパンに先んじて、木彫り熊にいち早く着目し、「東京903会」を主宰していたのが、フリーランスエディターの安藤夏樹さんだ。八雲町に通い詰め、編集者の視点でその魅力と特徴を掘り起こし、2019年には『熊彫図鑑』という書籍で八雲を中心とする道内の名作を紹介し、同時に東京目黒のギャラリーで名作を集めた作品展を開催。さらに雑誌『CASA BRUTUS 2022年1月号』での特集を通じてその発信が全国に広がり、ビームスの取り組みへと繋がっていったというわけだ。
トークイベント終了後、念願だった鈴木さんと安藤さんとの対談を八雲町で実現させることができ、「感無量です」と顔をほころばせる青沼さんの姿があった。
「八雲の木彫り熊が、様々な偶然を引き寄せているだけ。私は何もしていないですよ」と、青沼さんは謙遜する。しかし、木彫り熊を単なる外来のコレクターブームに終わらせたくない、八雲の町民にこそ誇りを持って自分たちの文化を見つめ直してほしいという情熱を抱いて、外からの注目を内へ内へと巻き込み、地元のまちおこしへと繋げていくやり方には、やはり青沼流と言うべき何かがある。
アフターイベントの懇親会では、ステージ前のビリヤード台に持ち寄った自慢の熊を、参加者同士が互いに品評し合う姿が見られた。こんなふうに誰しもを自分ごととして巻き込む心憎い仕掛けこそ、青沼さんチームの得意とするところだ。
2024年、百年の節目を迎える八雲の木彫り熊。開拓の祖・尾張徳川家に思いを馳せ、土着の魂に立ち返る。
八雲の地で木彫り熊第一号が彫られたのが、1924年。2024年は八雲町にとって、木彫り熊百周年にあたる記念すべき年だ。青沼さんはじめ、木彫り熊復興に熱い思いを持っている人たちは、先人への敬意をもってこの節目を大切にし、その意味と価値をすべての町民と分かち合いたいと考えている。
八雲の木彫り熊は、その始まりから「ペザントアート――名もない農民や町民による芸術」という側面を有している。八雲町の開祖である「徳川さん」(徳川義親を町民は親しみを込めてそう読んできた)は、西洋の最先端の農業や畜産を八雲町に導入した。さらに労働に勤しむ町民たちの精神を豊かにし文化を育むために、スイスで見てきた木彫り熊の芸術活動を奨励した。単なる農閑期の副業ではないからこそ、一人ひとりの作り手の独創性が大切にされ、写実ばかりでなく抽象芸術的な作品も多く生み出されてきた。
クマまつりでは、このペザントアート=町民芸術としての木彫り熊の歴史と価値を、丁寧に振り返ることに力を入れている。多くの町民にとっては遠い存在になった感があるものの、町には木彫り熊資料館もある。1971年から始まった木彫り熊講座は、2003年から10年間休止したものの、2013年に復活し現在進行形で活動を続けている。
2021年冬の第2回クマまつりでは、木彫り熊講座の4代目講師を務める千代昇(ちよのぼる)さんの話を皆で聞こうと、カミヤクモ321でトークイベントを行った。短い時間ではあったが、87歳(当時)とは思えないハツラツとした声で、時折冗談を交えて話す千代さんを囲んでの貴重なひと時が実現した。
その後のクマまつりでも、精力的に伝統の掘り起こしと継承に努めてきた。八雲町の旧徳川農場は、開拓の役目を終えて1948年(昭和23年)に閉場し、現在は尾張徳川家の資産管理運営会社である八雲産業の八雲事業所として、植林・種苗事業に携わっている。今でも使われている社屋は、徳川農場の事務所として使われていた由緒ある建物で、所有地だった徳川公園跡には今なお、徳川さんが保護して世話をしていた熊の檻が遺っている。
2022年冬の第4回クマまつりでは1日限定30名の社屋の特別開放見学会が、2023年春の第5回では同事業所の佐藤隆雄所長が自ら講師を務め、「八雲学 尾張徳川家と八雲の関わり」というセミナーと熊の檻の見学会が行われた。
さらに青沼さんがどうしても実現させたかった企画が、徳川さんが百年前に訪ねた、スイスのブリエンツの村と八雲町をネットで繋いでの国際トークイベントである。ブリエンツには、1884年設立のスイス唯一の木彫り工芸学校があり、徳川さんは当地で農民・町民が木彫りを学ぶペザントアートの文化におおいに感化されたという。
2023年春の第5回クマまつり、念願のトークイベントは「八雲とスイスの○○の夜」と称し、シークレットゲストとして当日まで誰が登場するのか明かされなかったにもかかわらず、定員20名はすぐに満席。会場は八雲町郊外のスイス料理レストラン「アルポン」で、シャレー風の店内に参加者が集い、チーズを使った料理やワインを楽しみながらの楽しい夜の会となった。
ブリエンツ側のゲストは、徳川さんも訪ねたジョバン社(木工産業をリードする企業で、現在は財団を設立し木彫り工芸博物館も運営)の、現在のジョバン社長。八雲側は、同社と博物館に何回も訪れて民間交流を深めてきた、すずき金物の鈴木譲会長が登壇した。八雲在住のドイツ人の方を通訳に介しながら、前半は2人の対談、後半は鈴木会長の講演で構成された。
「来年の百周年への布石として、どうしても鈴木さんにお話をしていただきたくて、今回は懇願して登場いただきました。そしてぜひスイスと繋ぎたいと、ジョバンさんとの交渉と調整にぎりぎりまで時間がかかってしまい、タイトルも◯◯とフセ字にしておきました(笑)。なんとか実現できてほっとしています」(青沼さん)
前半の対談では、ジョバンさんからブリエンツの木彫り産業や工芸学校についてお話を聞くなどしたのち、鈴木さんから「来年の百周年にはぜひジョバンさんにも八雲町にも来ていただきたい」と熱いメッセージが送られた。
後半は鈴木さんが、持参した柴崎重行作の木彫り熊を手に取りながら、旧知だった柴崎さんの思い出や、町を取り囲む雄大な山林や鉱山跡を擁する自然風土への畏敬の念、自ら積極的に関わってきた雄鉾(オボコ)山の山間にある「オボコ山の家」(鉱山時代の旧郵便局)の保全活動まで、多岐にわたる内容が語られた。
最後に、鈴木さんのメッセージは、木彫り熊の向こう側にある、八雲町の来し方行く末に及んだ。徳川さんの先見の明に溢れる産業振興や芸術振興の歴史を振り返り、「先人の築いてきた地域振興活動の尊さに、町民はもっと気づかなければならないし、その中にこそ八雲町の未来を築いていくヒントがあるはずだ」と、温和ながらも強い口調で力説された。それはまさにシビックプライド(市民としての誇り)を呼び起こさんとするメッセージであり、青沼さんらの取り組みに対する温かなエールであった。
八雲と出会い、木彫り熊と出会い、次へ向かう。源流を見つめ直し、地域の誇りを高めるという野望を抱いて――。
こと木彫り熊に関しては、八雲町にはその歴史を知る重鎮や専門家がいて、青沼さんは新参者にすぎない。八雲出身でもなく、その意味ではヨソモノバカモノの一人である。しかし、全国的な木彫り熊ブームという少々浮かれたファッショントレンドに流されることなく、内発的で持続的な文化再生運動へと繋げようと、寸暇を惜しまず町内外を駆け回る。
町内の専門家やマニアを繋いでいくことはもちろん、町中の自宅や商店などに散財する木彫り熊にも、名人作であるかないかを問わず、日の目を当てようと呼びかけてきた。作品を陳列したり、熊をあしらったお土産やお菓子を作り始めた商店を、まちあるきツアーの途上に組み込むなどした。スタンプラリー方式で各所を巡れる御朱印帳ならぬ「御朱熊印マップ」も制作、無償で配布し、点から線、面へと、広がりを演出してきた。
青沼さんの企画するイベントは、企画に妥協がなく、内容を充実させるための演出の努力を惜しまない。その姿勢の徹底ぶりに、皆、驚かされる。
名人・柴崎重行さんの評伝『木霊の再生』を著した札幌在住の竹沢美千子さんを招いてのトークイベント(2022年12月第4回クマまつり)では、会場に160体ほどの柴崎作品を集めて年代別に陳列し、関連する資料も多数展示した。もちろん展示には専門家やコレクターの力を借りるわけだが、企画そのものを考え実行に移し、当日も司会進行役として自ら先頭に立つ。
歴史や専門性を深く掘り下げたかと思えば、身近な生活に落とし込んで広げていく。有名な作家の作品だけでなく、手元にある無名の作品を展示しようと町民に呼びかけて、ギャラリーに持ってきてもらったり、商店の店頭に陳列してもらったりもしている。日用品や食料品の店舗にグッズコーナーを設けてもらうなど、なにげない街の日常と隣り合わせに木彫り熊がいる――そんな光景が広がっている。
2023年春の第5回クマまつりでは、初めて2週間のロングラン開催にチャレンジした。チラシもA3版の両面へと倍増(下写真)。木彫り熊グッズや土産物もあちこちで作られるようになっていく。趣旨に賛同してくれる人たちを増やし、同時多発的なネットワークを広げていく――青沼さん得意の地域巻き込み戦術である。
これまで補助金の類は一切もらわずに、民間の力で運営してきた。印刷物やイベントでお金のかかるものについては、参加者からの入場料や、地元の参加店などからの広告費を徴収し、受益者負担の原則で賄っている。
外の波を引き寄せて再興のエネルギーにしようとしている立役者は、やはり青沼さんなのだ。そのことは先出のすずき金物・鈴木会長はじめ、八雲産業に行ってもどこに行っても、誰しもが認める。当の本人は「もう私なんかぜんぜんです」と首を横に振って謙遜するが、クマまつりの各イベント会場で、関係者たちは口々に「そりゃあ青沼さんが頑張ってくれているから」と労をねぎらう。
2023年春のクマまつりを終えてから、青沼さんの頭は寝ても醒めても、2024年の木彫り熊百周年をどうしようかということでいっぱいだ。曇りが多いことから「八雲グレー」と言われる曇り空を見上げていると、ビームスジャパンの鈴木さんと東京903会の安藤さんが「百周年イベントでは、八雲駅に特急が臨時停車してくれますよね」と、冗談半分本気半分で語っていた言葉が、プレッシャーとなってのしかかる。
「木彫り熊百周年は、八雲町だけで完結するのでなく、北海道や世界の木彫り熊と繋げたい。そのために今、北海道内の主な木彫り熊産地を訪れて、それぞれの木彫り熊の歴史や文化を調べ、関係者との交流を深めながら、試行錯誤しています」(青沼さん)
尾張徳川のミュージアムである徳川美術館も訪ねた。八雲町と木彫り熊の開祖である徳川義親は、美術や史学の振興を目的に昭和6年(1931年)に公益財団法人徳川黎明会を設立、同法人は昭和10年(1935年)、名古屋市内に徳川美術館を開設し、現在も私立のミュージアムとして独創的な活動を行なっている。
「訪れて驚いたのは、スタッフの方々が口を揃えて、義親さんの功績の素晴らしさを讃えられることです。常に未来への夢を大事にしていた義親さんの理念が、彼が遺したものに宿っていて、今日にまで脈々と語り継がれ、受け継がれているのに感動しました」
外の刺激を持ち帰り、町の人々と共有し、活動に繋げていく。歴史や文物だけが語られているのでは、それはもう地域文化ではない。八雲町には、まだ生きられる木彫り熊の文化がかろうじて継承されており、愛される存在としてある。外からのブームにも後押しされて、未来へのまちの再興の精神的な媒体となりうる。木彫り熊百周年、そしてその後へと続くまちおこし活動の広がりを応援したい。
取材執筆:DONAN.city編集部
*写真:青沼千鶴さん提供 + 編集部撮影(水本健人、伊藤尚)/すずき金物社屋:google street view/徳川義親:wikipedia commons(出典)、歴史写真会「歴史写真(昭和4年4月号)」(初出)
■関連WEBサイト
kodamado
https://kodamado.com/
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カミヤクモ321
https://www.instagram.com/kamiyakumo321/
やくもキャンドルナイト2019
https://www.facebook.com/candle.yakumo/
KAI まちぶらNAVI Vol.3 八雲町
https://kai-hokkaido.com/town_vol33_profile/
BRUTUSオンライン「北海道・函館〜札幌の旅。熊彫りに魅了されて熊まみれ旅」(東京903会 安藤夏樹さん)
https://brutus.jp/hakodate-sapporo_trip/